rinako

ボストンの大学の一年生。いつかアートディレクターになる。

#4(続き) 犠牲にしているもの

昨日#3書いたあと、寝ようと思ったら、ちょっと考え始めてしまいました。

いろんなところあちこちいくのは楽しいし、
それぞれでやりがいがあるけど、
その分、犠牲になっているものいっぱいあったわ。

たとえば、

親との時間。

バスケ。

受験勉強。

 

もっと簡単なことで言えば、

部屋の掃除。
朝ごはん。

 

あと、犠牲になりやすいものが「友達」。

 

学校外の活動で一生懸命になったときは、
学校の友達との時間も取れなくなっちゃった。

今も、大学にあまり行っていないから大学の友達があんまりいない。
大学で忙しくしてると、高校のときの友達が遠くに徐々にいってしまう。

他にも気づいたら、離れていってる人もたくさんいると思うし、そう考えると、寂しいな。どんな友達でも、幼稚園の時の友達も含めて、今まで会った人全員が全員友達でずっといてくれるのは無理かもしれないけど、ただ「友達を犠牲にしている」っていう捉え方をすると、悲しい。

 

9月からアメリカにいくことを考えると、
やっぱり物理的に会えなくなって、時差の関係で連絡もしずらい、そもそも復習予習課題に追われてしまって、今いる友達がどんどん離れてくのかな。

 

この一個前のnoteを踏まえた上での昨日の夜考えていた「犠牲」、

それは、


私といったら「これ!」っていうもの。

 

いろんなコミュニティーに出入りすると、
これもやってあれもやって、一つのことが押し切れない。

今日行ったスタートアップイベントでも思った。
自己紹介する時、何を言えばいいんだ? 全部関わってきた/関わっているプロジェクトを言うの??

いやいや、、
じゃあ「大学生です」だけでいいっかってなってしまう。

 

結局ピッチをすることが頭の中で混乱してしまって、ただその場のノリでおさめてしまう。犠牲にしてるもののなかで一番最近身に沁みることは、【自分の印象】だと思う。いろんなことをしてると「私はこれをやってます!!!」って言い切れない。だから周りからみてもそうだし、それよりも自分のなかでの特化したいところがゆらいで、自分の中での自分の印象が薄くなってしまう。

 

真っっっ赤なりんごと、

青も黄色も緑もオレンジも赤の部分もあるけど、全体的に色が薄いりんご、

 

どっちがいい?

 

 

話を最初に例であげた犠牲にしているものに戻すと、

毎日外でてると、家で落ち着けない。きちんとした時間が取れない。部屋の掃除は一見笑われるかもしれないけど、でも大切だと思う。やっぱり汚い部屋では何かを始めよう!という気がなかなかしないもんだ。
朝ごはんもちゃんと久しぶりに、お味噌汁、焼き魚、ほうれん草のサラダ、白いご飯、りんご、、、を食べてから一日過ごしたい。

親との時間も全然取れない。夜は友達と先輩とご飯を食べることが最近多くて、家族で食卓囲んだのは今週一回もない。
自分がやってるプロジェクトを説明したことも今までないし、んんん親との関係は個人的すぎるからあんまり書きたくないけど、もっと小学生のときみたいに戻りたいな、なんて思う。

バスケ。今の私にはないけど、中学一年生の時にバスケ部に入ってるんです。中学生の時は女バスといる時が楽しい。練習はきつかったけど、でもくだらないことでみんなと爆笑できる。そんな女バスが居心地よかった。高校3年生までそれは変わらなかったけど。
正直いうと、高校2、3年生の時、常に自分の心のどこかにあった、思いっきりバスケに打ち込んだ6年間もよかったんじゃないかなって思うところが。バスケ部の友達見てると、引退試合行った時は特に、後悔ではないけど、なんだろう、みんなと汗かきながらコートで走ってる自分もありえたんだなって感慨深くなる。

 

 

これをここに書いて何か言いたいことがあるわけではないけど、

 

◯◯と会うか、会わないか、
◯◯に行くか、行かないか、

そういった選択をするたびに、犠牲にするものが必ず生まれてるんだなってしみじみ思いました。

 

かといって、
これから判断する度わざわざ「得るもの」と「犠牲にするもの」を天秤にかけることはしません。

これからも自由気ままに、直感で、
とりあえずボストン行くまではそういこうと思います。

 

 

久しぶりにバスケしたいな。

 

21:32
06.05.2016